戦時記録焼却の跡から ちくま文庫『戦場体験者』解説

 以下、抜粋して転載させて頂きます。

 日本の近代戦史を紐解こうとすると、すぐにひとつの障害に突き当たる。 本書ではこれを〈昭和二十年(一九四五)八月十四日の日本政府や大本営が採った国策〉と表現している。これは「戦時記録の焼却」のことである。

 敗戦前日、日本政府は戦犯の証拠とされる恐れのある文書について焼却する事を閣議決定した。同日より、陸軍省参謀本部があった市ヶ谷台地で炎の中に次々と文書が投げ込まれ、その灰は地中に埋められた。同様の「焼却命令書」は、まさに飛び火のごとく全国に拡散、公的機関の敷地や河原などで数日間煙が立ち昇り続けたという。

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 〈戦後の日本社会は、一般兵士がその戦争体験を語ることを許さない暗黙の諒解をつくってきたのである。一般兵士たちに、「おまえたちが体験したことは銃後の国民に語ってはならない」という暗黙の強要が、とくに戦友会を通じて行われたといってもよかった〉。 戦友会の役割のひとつとしてこうもあった。〈昭和陸海軍の軍事正当化〉。 〈連隊、師団などの戦友会では、軍隊内の階級が生きていて、日中戦争、太平洋戦争の正当化が前提になっている……〉。

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 帰国して、非日常空間から日常へと戻った元兵士たち。戦地での行いを口にする事を躊躇う理由のひとつに、家族や子孫への配慮があるのは想像できる。「お国のために」と命を賭けたはずのあの戦争に、実は誰にも話せない「現実」があったからだ。

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 中国の法廷で戦犯として裁かれた元将校の話も強烈である。 九名の農民を同時に斬首殺害したというこの将校は、その殺害過程を大勢の中国人の前で涙をぬぐいながら陳述したという。投獄されていた時に、母親と弟が面会に来る。母は、なぜ息子が戦犯となっているのか理解できない。尋ねられた息子はついに告白する。〈「あの戦争を自分は正しいと信じて、私は戦場で逮捕した中国軍人や民間人を厳しく取り調べて殺したんです……」。〉それまで中国人とも親しくしていた母親は、息子から話を聞いて身体を震わせ大声で泣き続けたという。この元将校は〈「せめて母親が死ぬまでは、とか、肉親が亡くなるまでは……と渋って戦場での記憶を語ることを拒否できるのはまだ幸せなほうなのだ」〉とも語っている。

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 アジア諸国から太平洋までを巻き込み、自国をも滅亡寸前まで追いやった戦争。 その現実を知る人々は時間の経過に比例して確実に絶滅へと向かっている。本書はそんな貴重な証言を追い続けることで、戦後も続いている暗部に気づき、警告を与えている一冊であろう。 著者は自身が辿り着いた信念として、文末にこう記している。 〈記憶を父とし、記録を母として、教訓という子を生み、そして育てて次代に託していく〉 まさに。先の戦争を何かの糧にできるとすれば、その方法は他には見当たるまい。